私はいつも負い目を感じて生きてる。
今のこの状況に。
ここに在るべきは私じゃないんだって、そんなこと考えている。
状態というか状況というか、なんて言うんだろう。どれも違う。現状も違う。
でも私は、今の自分に負い目を感じてる。
それはきっと、誰に言っても不快に思われるか、鼻で笑われるかでしかないことだけれど。
負い目――そう、一番最初の負い目は、きっと、生まれてきたことかな。
この負い目も、誰にも言ってはいない。
それに付随する理由も。
一度言ったことがあるけれど、今更だみたいなことを言われて、じゃあ、私が産まれなかった場合の違う未来は誰かどうやって証明できるの?
それは今より暗い未来だったのか、明るい未来だったのか、誰にも解らない。
だから言ったって意味はないのかもしれない。
でもそれが、私の負い目になって、傷になっているのは間違いなく事実。
だから私は肉親に同じ思いをさせたくなくて、その言葉に蓋をする。
「あんたが出来なければ、あの人の未来は変わっていたかもしれないのに」
最近、ようやく受け入れられるようになったことがある。
心に傷を抱えているのも、人には言えないような過去があるのも、万人に共通なこと。
たとえ、何も考えていないように見える人でも、傷を抱えている。
気楽に笑っていても、いつも澄ましていても、傷は――トラウマは、ある。
程度は個々の感じ方によって違うだろうし、他人から見たらそんなことかよって思われることもあると思う。
でも私はそれについて悩んでいて、誰かも違う何かについて悩んでいて…そうやって、生きてる。
何故か最近、そういうことを深く感じるようになった。
俗に言う、「できちゃった婚」でできた子供が、両親が離婚した後って、凄く辛いんじゃないかな。
「あんたが出来なければ、あんな奴と結婚なんかしなかったのに」
そんな言葉が浴びせられないことを、願ってやまない。
子にとって親は、自身の存在の為の最後の砦だと思うから。
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