与えられることには慣れなかった。自分は誰かに何かを与えられる人間ではないと、自分の中で勝手に見切りをつけていたせいもあるのかも知れないが、だからこそ、誰かに何かを与えられない自分は誰からも何も与えられることはないのだと思っていた。
そうでないと気付いたのは本当に最近のことだった。気付いたというのは恐らく正しくはなく、気付かされたという方が正確だ。自分がそこで生きているだけで、与えられるものはあった。人はどうあっても、独りで生きることはできないから、誰も彼もが何かに影響を与えているらしい。
『俺はもう沢山のモノを貰っているから』
そんな言葉を聞くなんて思わなかった。彼が自分に対して言った言葉は、確かに自分に向けられたもので、他の誰かの噂話ではなかった。真っ直ぐこちらを見る瞳に気まずくなって視線を逸らすと、苦笑ともつかない音が聞こえて、ますますバツが悪くなった。
そしてその後、「だから」と続いた言葉に、顔はそむけたまま視線を戻せば、目を細めた彼はどこか遠くを見つめているようだった。
『俺も何かを与えられたらいいのに』
嗚呼、そうか、とひとり納得した。何かを与えるということ。それは無意識の内になされていることで、与えている側は元より、下手をすれば受け取っている側もそれに気づかないのだろう、と。
「もう、貰ってる。十分な程に」
返した言葉にきょとんとした顔が妙におかしくて、思わず笑いだしたら困ったような不機嫌そうな顔をされた。
今にして思えば、あの頃が一番楽しかったのかもしれない。
自分は確かに何かを与えられた。それを自覚すると少しくすぐったくって、結局慣れることはなかったけれど、それを与える相手がいなければ何もない。あの気恥ずかしさも二度と味わうことはないのだから。
最後の最後になって思う。もっと与えてやりたかった。もっと与えてほしかった。
過去は勿論、『今』という時でさえ記憶に散っていく時の流れの中で、あの時の些細な時間は本当に奇跡のようなものだったから、ずっと消えることはなかったし、だからこそ最後の時に思い出してしまったのだろう。
だけど、と音もなく呟く。想いばかりで実態の伴わない記憶の何と空虚なものか。だから、触れていたかった。当たり前のように受け止めていたそれに触れていたかった。忘れてしまわないように。
遠くに光を見た気がした。眩しくて、だから、ずっと見ていたくて。惜しいなと思う。もう見られなくなるのは惜しいなと。
けれどすぐに、否定の言葉を聞いた気がした。受け入れろと言う。ずっとそれを受け止め続けていたように。
もう二度と、失うことはないのだから、と。
「ああ、そうだな」
口元に笑みが浮かんだ。やっと。やっと、だ。ずっと待っていた。ずっと望んでいた。長かったのか短かったのかも分からない。分からない程長い時間を駆け抜けてきたのかもしれない。
おかえり、と言われた気がする。近づいてくる光に手を伸ばす。嗚呼、本当に、やっと。
――やっと、廻り逢えた
―――――――――――――――
途中まではどちら視点でも取れるように書いてましたが、ラストで完璧に刹那視点だなぁと思いました。
インスピで書くから中身すっかすかの雰囲気SSになっちゃうんだよと思いますが反省はあんましてないです。
最後の方、「もう別たれることはないのだから」と書こうとして、それまんま境界線上のホライゾンの本多・忠勝だよ!と思い、止めました。
PR