旅人は小屋へと戻った。それは予感に似ていた。その小屋へ戻らなければならないという予感だ。
少し躊躇いつつも扉を開けると、少年はまだ椅子に座っていた。旅人が戻って来たのを知ると、少しだけ眉をひそめる。そのような反応は些か心外で、むしろ戻って来たことは彼にとって喜ばしいことなのではないのかと怪訝に思ったのも束の間、少年はすぐに無表情に戻った。
「戻って来たのか」
戻って来ることなど微塵も思っていなかったかのような言葉。それはそうだろう、と旅人は思う。自分を殺せと言った少年の言葉を突っぱねて立ち去ったのは旅人自身である。そのような人間が再び何の用で戻って来たのか、少年が疑問に思っても不思議はない。
「訊きたいことがあるんだ」
旅人は砦から小屋までの道中、何度も考えていた言葉を口にした。
「訊きたいこと?」
「答えてくれるか」
少年は幾度か瞬きを繰り返し、やがてひとつ頷いた。それを了承の意と取り、旅人は一度深呼吸し口を開いた。
「この先にある砦に行って、森についての話を聞いた。かつてこの場所には森があったが、今はもうないという話だ」
「そうだろうな」
意外なことに少年はあっさりと認めた。たじろいだのは旅人の方だ。もっと何か、別の、焦るようなそんな反応を想像していたのだ。こうもあっさり首肯されるとは思ってもみなかった。
「俺の記憶が正しければ……お前は森の中にいたはずだ。おかしいだろ。燃えて無くなったはずの森があって、そこにお前はいて、俺はそれを見たんだ。この小屋にしたってそうだ。あの砦にいた商人は、こんな小屋はなかったと言っていた。現に小屋はここにあるのに」
つらつらと口を突いて出てくる疑問の数々。最早予行練習は何の意味も持たなかった。尚も旅人が言葉をぶつけても、少年は依然涼しい顔でその全てを受け止めていた。
旅人は言葉を切る。早口にまくしたててしまったせいで、少し息が切れている。何を必死になっているのかと己を叱咤し恥じて、比較的冷静を装って徐々に呼吸を整えていく。その間もずっと、旅人は少年から目を離さなかった。否、離せなかったという方が正しいかもしれない。
「お前の疑問に端的に答えるならば、お前の聞いた話は全て真実の一端であり、森は死して尚存在している」
「馬鹿な!」
「お前もヒトならば、他人の言葉より自分が見たものを信じたらどうだ。お前は森に入り、森の中枢で森の意思に出会い、俺を殺すように命じられた。それは事実だ。少なくともお前と、俺や森にとっては」
少年の言葉を跳ね除けられるほど、旅人は愚かではなかった。現に旅人はこの目で見て体感した。鬱蒼と木々が生い茂る森の中を歩いたことも、森の中にあった水晶も、その水晶の脈打つ感覚も、全て旅人は未だ忘れられず覚えているのだ。だからこそ旅人はこの場所に戻って来た。自分と他人との認識の差異。その理由を知るために。戻らなければならないと感じたのだ。
「別にお前だけが特別というわけではない。お前のように『森』を認識できる者は他にもいる。ただ、少ないというだけで。森を認識するためには条件がある。それを満たす者なら誰でも森を認識でき、森の意思の言葉を聞くことができる」
「条件?」
「何らかの強い意志。感情。そのヒトが何に代えても成し遂げたいと感じる想い」
旅人は歯噛みした。成程と納得してしまったのだ。だから自分は砦にいた誰とも違ったのだと。
「森は契約を果たした者の『想い』を成就させる。お前が俺を殺しさえすれば、死にたいというお前の想いも、森は叶えるだろう」
少年はどこか不服そうに旅人を見て、そう静かに告げた。
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