旅人の名をロックオン・ストラトスといった。彼は元々帝国軍の軍人であり、その名も軍の特殊部隊に入隊した時に皇帝より賜った名だった。そしてロックオン・ストラトスには殺戮の英雄という二つ名が与えられていた。
特殊部隊に所属して間もない頃、帝国北西のとある村で疫病が蔓延した。
ただちに村は封鎖され、疫病に詳しい医師が派遣されたがどんな薬を処方しても疫病が快癒することはなく、病状か刻一刻と悪化していき、このままでは近隣の村に被害が及ぶのも時間の問題だとされた。
これに対し皇帝は、その村を焼き払うように命じた。帝国の何万人という民を護るために、村に犠牲を強いたのだ。当然村人たちにその情報が渡ることはなく、実行には特殊部隊が選ばれた。元々、特殊部隊は帝国の暗部を担う軍隊であり、このような時のために準備されている隊であるといっても過言ではなかった。
焼き討ちに名乗りを上げたのはロックオン・ストラトスだった。彼は疫病の村出身の者だった。軍上層部には、情に駆られ家族や友人たちを逃がすのではないかと危惧する者もいたが、部隊長は彼らの反対を押し切り、ロックオン・ストラトス1人にこの任を言い渡した。隊員1人1人を自ら選び引き抜いてきた部隊長には、ロックオン・ストラトスが情如きに流される人間ではないという確信があった。
結果的に、ロックオン・ストラトスは任務を全うした。ただし、その手法だけが違った。彼は村に火を放つ前に村人1人1人を自らの手で殺して回ったのだ。彼の主張によれば、その行為は「苦しみを長引かせないために」必要だった。
ロックオン・ストラトスの凶行ともいえるこの行為は、軍内部でも物議をかもしたが、そもそも村を焼き打ちにすると決定した人間たちである、それほど大きな問題としては取りざたされなかった。しかし、帝国の上層部にしか知らされていないこの作戦。一般市民は村一つを焼き打ちにした人間を恐れ、軍内でもその殺戮に陰口を叩く者が後を絶たなかった。それは当然であるとロックオン・ストラトスは考えていたし、これ以上自身が帝国内に留まることはできないと覚悟もしていた。
事情を知る軍の公安部隊に身柄を預けられていたロックオン・ストラトスの元に、彼の上司である部隊長が訪れたのは村が焼き打ちにされてから1週間後のことだった。彼は告げた、帝国はロックオン・ストラトスを国外追放に処することを決定したと。この時ロックオン・ストラトスが思ったのは「まだ俺は生きなければならないのか」ということだけだった。
ロックオン・ストラトスが偽りの身分証と国境の通行許可書を手に帝都を出てから幾日も経った後、彼の行動が帝国の命令であったことが一般市民の間で噂された。どこから流れた噂であるかは定かではないが、一説によると特殊部隊の誰かが重い口を開いたらしい。疫病の根を絶ち結果的に国民を救った彼は何時しか、殺戮の英雄と呼ばれることになったが、そのことを本人が知る日は終ぞ来なかった。
ロックオン・ストラトスは旅人になり、自分の死に場所を求めて南の国境へと向かっていた。未開の地と噂されるその地であれば、自分の死に場所が見つけられると思ったのだ。家族を護るために軍人になった彼にとって、家族を自らの手で殺めた今となっては、何もかもが無価値だった。それでも彼が自殺を選ぶことができなかったのは、ひとえに宗教上からの問題である。
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「自分が死ぬために他人を殺すなんて馬鹿げた話があるか!」
旅人は少年を怒鳴りつけた。今まで見せたことのない激昂する姿に、少年はやはり顔色を変えず、首を傾げた。
「不思議なことを言う。ヒトは自分の平穏のために他人を殺せる生き物だ。自分のためならば何を犠牲にしたって構わないと考えている」
少年の言葉は、旅人にかつての自身の凶行を思い起こさせた。国民を護るためという大義名分に駆られ、大量虐殺に及んだのは他でもない旅人自身である。いくら自分のためではないと主張した所でそれは無益なことだ。ヒトのためにヒトを殺したという現実は拭いようがない。
「お前が何故死にたいと願っているのか、森は知っているだろうが俺は知らない。だが、それは森が反応する程の強い願いだった。その願いを成就させるのは至って簡単な話だ。ただ俺を殺せばいい」
「それができないって言ってるんだろうが!」
「何故?」
怒りに震える旅人を前にして、少年はどこまでも平静だった。それどころか心底不思議そうに旅人に問いかけるのだ。何故。如何して。お前は自分の願いのために、ヒトを殺せないのかと。ヒトとはそういう生き物ではないのかと。
「お前の言うヒトと俺は違う…!」
違わない、とすぐさま否定したのは旅人自身の心だった。それでも、自分が死ぬためにこの子供を殺すことを旅人は良しとしなかった。否、良しとできるわけがなかった。どれだけ言葉を重ねても言い訳にしかならないと分かってはいるが、旅人は好き好んで人を殺してきたわけではないのだから。
不意に少年は立ち上がると、一歩ずつゆっくりと旅人の元へと近づいて来た。そしておもむろに旅人胸の上、心臓の上に手を置く。
「心臓が動いている。お前は俺が知る限り、ヒトだ」
いいかげんカッと頭に血が上った旅人は、少年の手首を強く掴んだ。見た目よりも華奢な手首。掌に感じる熱と、指先に触れる脈拍。
「お前だって心臓が動いてる。俺の知るヒトと大差ない。ならお前も、自分のために他人を殺せるのか」
想像以上に低い、地を這うような声音になってしまったことに、旅人自身が驚いたが、それ以上に驚いたのは少年が酷く動揺したことだった。少年は目を大きく見開き、呆然と旅人を見上げている。
「俺は自分のために誰かを犠牲にしたことはない」
「何故そう言い切れる」
「俺はヒトのために死ぬことを義務付けられたからだ」
「……?」
「ヒトのための犠牲。それが俺に課せられた使命。生まれた理由だ」
少年の瞳が揺れる。泣きそうだというわけではない。酷い困惑の色に支配されている。何かに怯えているのに、彼自身がそれに気づいていないような。
旅人がそっと少年の手を離すと、少年はその手で自身の胸元を強く掴んだ。
「…俺はヒトじゃない。俺はヒトのための犠牲。俺は森の意思の化身。森は俺で、俺は森だ」
「お、おい」
「…………けれど本当に、そうなのか…?」
「何…?」
ただならぬ少年の様子に、旅人は思わず声をかけていた。怒鳴りつけても平然としていた少年が、途端に年相応に見えて、それはとても頼りなさ気だった。
少年は再び旅人を見上げた。意思の欠落したその瞳の奥に、旅人は底知れぬ闇を見た気がした。途端、ぐらりと少年の体が傾ぐ。慌ててその身を受け止めて、旅人は困惑した。
倒れる間際にこの子供が、死にたくない、と言ったように見えたのだ。
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