暗い冬の海が好きだった。
凍てつくような寒さの中、防寒具を脱ぎ捨てて、着慣れてしまった制服のまま、一歩一歩と波打ち際に足を向ける。さらさらとした砂の感触がやがて水気を帯びて、湿った砂のじゃりっとした感触へと変わっていく。冷たい、と感じる心はどこかに置き忘れて、呆けたように灰色の水面を見つめたまま水の中へと沈んでいく。冬の海に、しかもこんな恰好で。正気の沙汰ではないと人は言うだろうが、あいにくここにはただ1人がいるのみで、口煩い他人はいなかった。もし遠目か、もしくは島の何処をも映すカメラに捉えられていたら、一騒動になるのだろうかと、他人事のように考える。
どんどん足を進めて行ったら、もう胸元にまで水中に埋まってしまった。ぐっしょりと水を含んだ服が少し重いような気もする。これさえも切り落として、後ろへと置いて行ってしまえたなら。
ふと、背後へと視線を向けた。冬のどんよりとした曇り空の下にある故郷は、けれど何故かぬくもりに包まれているような気がして、目を細めた。眩しい。
「一騎」
呼ばれた。気のせいじゃない。声がした。力強い声が、呼ぶ。この身を呼び起こす。
一度目を閉じて、もう一度開いて見たら、一気に意識が覚醒した。すると、唐突に体が重くなって、全身を寒気が包んだ。先程までは何も感じず進めたのに、もうこれ以上進めない。
「もう、いいだろう」
「……ああ」
問いかけに頷いて、振り返ろうとしたら、かくんと体が傾いた。急に深くなっていた瀬に、捕らわれて、暗い海の中に、落ちる。
「一騎!」
焦ったような叫び声を聞いた気がしたけれど、体は海水の中に落ちて、包まれた。こぽこぽと口から酸素がこぼれていく。もがこうにも力が出なくて、ただ呆然と見上げた空は水面に遮られていたけれど、代わりに太陽の光を受け止めてキラキラと輝いていた。
「(何だ、全然暗くない)」
落胆したような、安堵したような、実に不思議な気分だった。不意に、光が震える。何事かと目を凝らしたら、こちらに向かって来る人影が見えた。それが誰なのか、なんて、考えるまでもない。一度目を閉じて笑う。大丈夫なのに。心配する必要なんてない。必ず、そこに還るから。だけど仕方ない。追って来たのなら手を伸ばさないと。力強いのにどこか頼りない、その指に触れた。
すぐさま海水から引きずり出されて、陸までズルズルと運ばれる。多分、少し怒ってる。
2人、冷たい砂浜に寝転んで、荒い呼吸を整えていた。先に回復したのは相手の方で、上体を起こすと濡れた髪をかきあげて、呆れたようにこちらを見下ろした。
「何をしているんだも前は」
多分、色んな言葉を呑みこんだ末の声なのだろうと、何となく、解る。
「…足が滑って」
「それで溺れかけたのか?僕がいなかったらどうするつもりだったんだ。第一、真冬の海に入るなんて……」
「……総士がいなかったら、そもそも入ろうとしなかった」
総士は小さく息を吐いた。
「そうだろうと思った」
見透かされていたことに少し驚いたけれど、それほど意外にも思わなかった。そう、言われる気がしたのだ。何となく。
体を起こす、目に映るのは灰色の海と灰色の空。
「戻るぞ」
立ちあがって、総士は言う。いつもと変わりなく。それに軽く肩をすくめると、不意に、視界が陰った。ぼんやりとかすれて、徐々に見えなくなっていく。
「総士?」
「どうした?一騎」
ふわりと、触れる。いつも冷たいてのひらは、今日ばかりは冷え切った体にじんわりと熱をもたらす。その手に自分の手を重ねて、目を閉じる。
「…………何でもないんだ。何でも」
「………ん?」
もう一度、この熱を失うことが途方もなく恐かった。それこそ、冬の海に独り溺れるよりずっと。ただ、それだけのことだった。
――――――――――――――――――――――――――
アンケで入っていたのでファフナーの総一。総士+一騎、のようにも見えるかもしれない。だってほら原作があれだから。
ファフナーを出すのはこれが初めてだと思うのですが……既出…ではないですよね…?
映画見た直後くらいに書いたものですが、何時頃の話なのかは特に決めていないです。
小説版で一騎が冬の海が好きだと言っていたようないなかったような。小説版の雰囲気を真似たというか意識した感じになっているようにも思うのですが、何しろ最後に読んだのが去年なのではっきりしないです。
PR