春。
穏やかな風がほのかに甘い香りを運んで来る。目の前の満開の桜の樹々が、そんな風に揺らされはらはらと花弁を散らす。
「春ですねぇ…」
丸く大きな饅頭片手に、のほほんと呟く白髪を見下ろし、すぐに視線を逸らした。正確には、彼の前に山の様に並べられている甘味類から目を逸らしたのだ。いったいこのもやしのような身体の何処に、こんな大量の食物が入るのか、はなはだ疑問だ。
しかし、何を勘違いしたのか、当の大食漢は「カンダも食べます?」なんて言って、三色だんごの乗った皿を差し出す。黙殺をもって答えると、「美味しいのに」と呟きながら串を手にし、あっと言う間に平らげてしまった。
先程から本当によく食べる。まあ、このもやしがよく食べるのは今更なのだが。しかし、一応名目が花見である以上、もう少し花にも意識を向けるべきではないだろうか。この花よりだんごの権化は。
「やっぱり、桜を見ながらのおだんごは美味しいですよねぇ」
今度はみたらしだんごをもふもふと頬張る。いいかげん、花見なんて大量の甘味を食べるための口実なのではないかと疑ってしまう。それでも、一応は花を愛でるつもりもあるらしく、ひらひらと舞い落ちる花に視線を移し、目元を緩めて見せる。
「桜は散るから綺麗だって言うけど、本当ですよね」
最後の皿を置くと、ほうっと息を吐きながらアレンは言う。
「風に揺られて散る桜の姿は、ぞくっとするほど綺麗」
どこか遠くを見つめる様な瞳に、どくりと心臓が跳ねる。反射的に自分より一回り以上小さい手を握り締めた。
青灰の瞳がゆっくりとこちらを見上げて来る。その瞳の冷たさが、どこか深い哀しみを孕んでいて、息を呑んだ。
「…今度は、僕より先に散ってしまわないでくださいね」
何を馬鹿なことをと、笑い飛ばすことができなかった。
以前、いつになく神妙な面持ちで「前世の記憶って信じる?」と訊かれたことを思い出す。あの時は軽くあしらったものの、「そうだよね」と言って笑ったアレンの顔は忘れない。
神田は左手をアレンへと伸ばすと、先程まで忙しなく動いていた頬へと手を伸ばす。すっと撫でる様に指先を動かすと、気持ち良さそうに瞳を細める。
「ねぇ、神田」
「何だ」
「桜って美味しいかな」
今までの空気をぶち壊す言葉に、ピクリとこめかみが引きつる。その衝動のまま頬を引っ張った。
「痛っ……痛いですよ…神田…!」
「食いもんにしか興味のないおまえが悪い」
「ええー」
非難の声を聞き流しながら、桜を使った甘味を出す店はどの辺りだったかと考えている自分は、本当にこのもやしに甘い。
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