とりあえずプロローグ出来たのでうpうp。
あ、ニル刹です。
書き直すかもしれないです。先に言っときます。
プロローグ 彼の世界
――かつて、世界の総ては彼だった
ある大国の都市から少し外れた場所に無法地帯と囁かれる街があった。狂気が渦巻くその街に常人が踏み入れば、血の一滴まで残さず喰らい尽くされるという噂は決して与太話ではない。
そんな街で刹那は生きてきた。生まれてこの方街を出たことがない刹那の、最も古い記憶は、ぼやけた視界に映る大きく、けれど小さな誰かの背中と、自分たちを見下ろす大人たちのごみを見るような瞳。弱者は甚振られ強者は圧倒的力を以って弱者の上に君臨する。この街の縮図だった。
以前、贔屓にしている情報屋が言っていた。この街で生まれた人間や、この街を住処とする人間が何故他の場所へと行かないのか。それは、彼らにとってここ以外に居場所がないからだという。この国の底辺の受け皿。それがこの街だから、この街以上先の逃げ場はないのだと。それに、この街の住民は多くがこの国の市民権を持っていない。それもまたこの街の人々が外へ行けない理由。
果たしてこの男はどんな理由があってこの街にいたのだろう。刹那は比較的恰幅のいい男を見下ろして思う。紛れもなく、この男は強者の部類だ。スラムの子供たちが見れば同じ人間とは思えないような肉付きの良い体がその証拠。そして、その命に懸けられた賞金の額もまた、この男が上に立つ者であることを証明していた。
「………」
刹那は短く息を吐き、男の高級そうな(しかし薄汚れた)ジャケットで鈍色のナイフについた汚れを拭った。血と、他に何がついているのかは知識がないからあまり分からないけれど、少なくとも塗りっぱなしにしていたら切れ味が落ちてしまう。
ナイフが鈍いながらも月光を映し出す程の輝きを取り戻すと、太股につけていたホルスターに収める。きょろきょろと辺りを見渡して、ひとつ、ふたつ、みっつ――、首肯。数に誤りはない。予備知識プラスアルファ。殺しながら数えた数とも相違ない――死体の数。
「任務完了」
誰にともなくつぶやく。もしかしたら知覚に潜伏している情報屋辺りは耳にとめていたかもしれない。
血のにおいと、硝煙のにおいと、かつて強者だった男のつけていたオーデコロンのにおいが混ざって、周囲は異臭に満ちていた。緊張が解けて鼻になだれ込んでくるその匂いに顔をしかめ、足早にその場を去った。
これが自分の日常。少なくともこの3年間はそんな毎日だった。依頼を受けて、準備して、殺して、依頼を受けて。甘えて護られるだけの毎日から脱却したのに、早く自分で仕事がしたかったはずなのに、待ちわびた時がきたはずなのに、酷く空虚だった。
ふと、見知った通りに差し掛かると物陰からふらりと人影が躍り出た。咄嗟にナイフの柄へと手を伸ばしたが、それが顔なじみの情報屋であると分かると軽く息を吐いてナイフを抜いた。
「お疲れ様、かな?」
「ああ。ターゲットとSP全て殺した。場所は指示した通りだ」
「了解。死体はこっちで処理しておくよ」
情報屋――アレルヤは目をゆるりと細める。彼はこの街で情報屋なんてものを営んでいるにも関わらず、人一人、いや、虫一匹殺したことがないという稀有な人である。しかし情報の精度は言うまでもなく、各組織とのパイプ役も兼ねており何かと重宝される。
本人はこの通り穏やかな気性なので、刹那と同じ客の中には何を考えているか分からないと不気味がる輩も少なくはないらしい。だが、数年の付き合いのある刹那からしてみれば、何も考えていないというのが最も正しい。彼は基本的に何も考えていない。ただ情報を集め、捌き、必要とあらば他の仕事もする。ただ、それだけ。一度、どうして情報屋なんかをやっているのかと訊ねたことがある。確か、2年程前のことだ。するとアレルヤは笑って、会いたい人がいるんだと言った。
刹那は雑念を払うように頭を振って、ナイフの柄に爪を立てた。程なくして柄はぱかりと二つに割れた。柄の丁度中央にある空洞には小さな黒いチップが入っている。
「これで間違いはないか」
「…外見は相違ないね」
アレルヤはチップを取り上げると、無造作にそれを月にかざしてみる。それで中に入っているデータが見えるわけではないのに。
「これは僕から渡しておくよ。いい?」
「ああ」
「それと、ついでだから次の仕事の話だけど、ある組織が君のことを高く買っているみたいで、「うちに入ってくれないか」だってさ」
組織。刹那は口の中で呟く。集団というものに刹那はあまりいいイメージを持っていない。この街には様々なグループや組織があるけれど、刹那は未だどこの組織にも属したことはない。それは1人の方が気楽だと考えていたからだ。それを知っているからアレルヤも今までその手の誘いは持ちかけて来なかった。では、何故、今彼はそんなことを言ったのか。
「会いたい人に会えるよ。きっと」
会いたい人。その言葉に胸を高鳴らせることはなく、ただ顔をしかめた。アレルヤはまだ飽きもせずチップを眺めている。
「この中に何が入っているか知ってる?」
「いや」
興味がない、というよりは、知ることを許されていない。ただでさえ野良犬のような立場だ。変な情報を知ればそれだけでどれほどのデメリットを受けるか知れない。だから仕事には私情を挟まない。仕事を選ぶことはあっても、一度受ければ何も躊躇わない。そうやって生きてきたから、まだ生きていられるのだろうとも思う。
「多分、これは火種になるよ。ひとつの組織を潰す火種」
「…………」
「こんな小さなものが沢山の命を奪うトリガーになるんだ。本当に情報ってものは――おかしいね」
アレルヤは笑ってはいなかった。少なくとも、刹那が見ていた限りでは。
厚い雲が月を覆い隠す。お互いの姿が闇に呑まれる刹那、ギラリと光る金色の瞳を見たような気がした。
刹那はアレルヤの横を通り過ぎ、帰路についた。アレルヤの事情を刹那は知らない。情報屋である相手がこちらの素性を全て把握していても、だ。どうでもいいと刹那は思っていた。全ての物事がどうでもいい、と。自分の命さえもどうでもいいと思うのに、どうして人の命を吸って生きているのだろうかと疑問に思ったこともある。結局、答えは見つからなかった。ならばそれはそれで仕方のないこのなのだろう。答えを出すことを諦めた。思えば諦めてばかりのような気もする。ここ何年かは特に。
雲の切れ間にふと顔を上げると、若いカップルが路地の隅に身を寄せて座りこんでいた。普段なら気にも留めないのに思わず視線を止めてしまったのは、月夜の中に光る淡い色の瞳が妙に印象的だったからだ。
瞬きひとつの間に視線を逸らし嘆息する。何時まで引きずるつもりだろう。何時まで引きずればいいのだろう。嘆くような、叱咤するような、曖昧な感情を抱いて、もう会えるはずがないのだと、諦めた。
不意に思い出したのは、アレルヤの言葉。会いたい人に会える、とアレルヤは言った。それは一体誰のことだろう。3年前のあの日から、刹那が一番会いたい人はもう、いなくなってしまったのに。
PR