第八話 狂気の片鱗
二日後。刹那は自室で、襲撃者から得た情報を元に探りを入れたアレルヤと会っていた。
「――以上が頼まれていた情報だよ」
茶色い封筒に入れられた資料に軽く目を通しつつ、頷く。殺す相手とその居場所さえ分かれば十分だ。彼の経歴や動機そのた諸々も全て必要はない。自分たちのような人間は必要以上に相手の事を知ってはいけない。知れば知る程深みにはまる。情が移っては仕事に支障をきたす。それは自身の評価を貶めるだけではなく、自分自身の命を危険に晒すことに直結するのだ。そう、あの男に教わった。
「…本当は行かせたくないんだけど」
アレルヤはため息を吐いて、懐から四角い箱を取り出した。それを目の前の机の上に置く。
「痛みどめ。ティエリアに処方してもらってきたから効果は折り紙つきだよ」
「…ありがとう」
刹那はピルケースを受け取り、上着のポケットへと入れた。二日前の戦闘で傷が開かなかったのは奇跡のようだ、とアレルヤは呆れていた。まさかあそこまで暴れるなんてと渋い顔で言われたのはまだ記憶に新しい。けれど仕方がない、というのが刹那の主張だ。あの男相手に本気でかからなければ、もっと酷い怪我を負っていたのはこちらの方だ。
「あ、と、これも」
アレルヤがどこからともなく取り出したのは一本のナイフだった。
「メインを置き去りにするなんて君らしくないよね」
「………」
それは紛れもなくあの日、壁に突き立てて置いて来た愛用のナイフだった。まさかたった二日の内に戻って来ることになろうとは思ってもみなかった。
「二つ、訊きたいことがあるんだ」
薬とナイフの代金代わりに。そう続いたアレルヤの言葉に刹那は内心嘆息するも、何だ、と続きを促す。
「ひとつは動機。どうして刹那は、彼のためにそこまでできるの?」
あいつのため、か。心の中で呟いた。
ここ数日のことは確かに、他人から見ればロックオンのためにしていると思われるようなことだろう。けれど刹那にその自覚はない。
「あいつは自分が仇であることを黙っていたのに、俺に仇を殺すための術を教えた。いつか何らかの理由で俺がその事実を知った時に、迷いなく殺せるように」
「だから、彼は刹那に殺されたがっている、か。彼と何年も一緒にいた君がそう感じるのならそうなのかもしれないね」
うん。とひとつ頷いたアレルヤは、何かを考えるように視線を泳がし、そしてもう一度頷いた。
「じゃあもうひとつの質問。刹那はこの件が片付いたら――この街を出ていくつもりだよね?」
思わず息を飲んだ。それが答えにもなった。
「やっぱり」
「……資金はある。もうこの街にいる必要もない」
「仇も彼も見つかったから、というのが実情じゃないの」
この情報屋は穏やかな顔をして鋭い所を突いてくる。
「まぁ刹那――というか、ソランの場合、お父さんがどうも外で市民権を持っていたみたいだから、市民権を買うこと自体は難しくないだろうね。でも、本当にいいの?」
「ああ。決めたことだ」
一度決めたら迷うな。そう言ったのはロックオンだったと思い出し、苦い顔になった。それを見たアレルヤもまた複雑な表情になり、止めはしないけど、と付け加えた。
+++
アレルヤの情報によるとターゲットはバーの地下にあるカジノ施設にいるらしい。この街では法律が殆ど機能していないため、賭博が違法であるという概念はない。だが組織の幹部クラスが行くような格式の高い(というのがアレルヤなりの皮肉なのかどうかは分からない)カジノは地下に潜ることが多いらしい。それはやはり、大っぴらに騒いでいれば、簡単に敵に襲撃されてしまうからだろう。どれだけ警備を整えても、施設自体が人が雑多に入り混じる性質のものだ。だから一般から存在を隠す。
バーは街の北にある広間から路地に入った先にあった。この辺りに住む人々にとっても隠れ家的存在のバー。そしてバーのマスターの許可を得られたものだけが行くことのできる秘密の地下室。それがターゲットのいるカジノだ。表向きはVIPルームということになっているらしい。
その路地に入った時感じたのは、路地によくある様々なものが混ざった異臭ではなく鼻につく、血の臭いだった。自然と手はナイフを構え、高い警戒心を以って一歩一歩着実に前へと進む。異常は目的地にあった。
古びた扉は閉じられていたが、その隙間から僅かな光と抑えきれない血臭が漂って来ている。だが、中に人の気配はない。全て殺されていると見るのが妥当か。ならば、この場所は襲撃された後、ということになる。だが一体誰に。本来ならばあまり近づかない方がいいのだろう。けれど、確認しなければならない。ターゲットが死んでいるのか。それとも、逃げおおせたのか。後者の確率が限りなく低いものだとしても。
刹那はナイフを構えたまま左手をドアノブにかけた。ひんやりとした感触が気持ち悪い。捻る。小さな軋みの音を上げて、扉がゆっくりと開き――そこは、殺戮の現場だった。
予想通り生きている人間はひとりもいなかった。誰も彼も逃げる間もなく虐殺されたようで、バーの客は各々飲んでいたであろう場所でそれぞれ急所に銃弾を受けて死んでいた。不快感を噛み殺し、室内へと足を踏み入れる。足裏にぬるっとした感触がある。それが何によるものなのかは確認せずとも分かった。
バーの左手奥に、マスターと思しき格好の男が倒れていた。その男の傍の壁にはぽっかりと穴が空いている。どうやら隠し扉があったらしい。恐らくその扉を通った先に、VIPルーム――カジノがあるのだろう。
刹那も迷いなく行った。
隠し扉の先は狭い廊下になっていた。正面には裏口、そして左手側に地下へ続く階段がある。真っ直ぐそちらへと足を向ける。血の臭いが密度を増す穴倉へと。
カジノは七色の明かりを受けて輝く煌びやかな場所だった。刹那が見たこともない機械が立ち並び、また、上にあった倍以上の死体がそこいら中に転がっていた。カジノの従業員も、明らかに堅気でない(そもそもこの街に堅気の人間、というのは少ないのだが)人間も、皆等しく血の海に浮かんでいた。殺戮とは正しくこのような場所の事を言うのだろう。
ぐっと喉元まで込み上げてきたものを抑え込むために口元に手を当てた。血臭に混じって自分の臭いがする。そんなものがまさかトランキライザーになるとは思わなかったが何が如何意味を持つかは分からない。刹那は殺戮現場へと足を進めた。誰も彼も銃弾を何発か受けて死んでいる。上での騒動に気付いていたのかドア近くに倒れていた男は手に武器を持っていたが、それを振るう間もなく殺された、という体だ。そしてやはり、生きているものは誰もおらず、最悪なことにターゲットの姿もなかった。
刹那は最悪のケースを想像する。ここに手練の暗殺者が襲撃をかけたのは明白だ。その男(もしくは女)の狙いが何なのかは分からない。だが、まだここに潜伏していることも十分に考えられる。何故なら、カジノの入り口から、地下への階段に至るまでひとつの足跡が残されていたのだ。血によってペイントされたそれは、襲撃者が一度この部屋に入って足裏にたっぷりの血をつけて、一度は地下へと下りたということだ。このフロアでは目的が果たされたなかったから。
これだけの連中を相手にして、恐らく傷一つ負っていないであろう相手だ。それを手負いの自分が倒せるのか。刹那は一度自問した。しかし答えなど決まっていた。何故なら刹那は先客と同じことをしようとしてここに来たのだ。流石にここまでの殺戮を演出するつもりはなかったが、必要であれば殺し尽くしただろう。だが、腕は相手の方が上だ。それは目を逸らせない現実である。
一度、自分を落ち着かせるために深呼吸を繰り返した後、刹那は足跡を追って地下へと向かった。階段の上に敷かれた毛の長い絨毯はこの街では稀に見る程の高級素材だ。恐らく、地下1階がカジノで地下2階が本当のVIPルームなのだろう。そんな刹那の予測を裏付けるかのように、内側に向けて多きく開け放たれた豪奢な扉が眼前に姿を現わした。刹那は扉のすぐ横の壁に背を当て、ひとつ息を吐く。襲撃者がいるとしたらこの先だ。不測の事態に備えて装備をチェックする。問題はない。
ここに来るまで刹那は極力音も気配も殺してきたから、襲撃者が刹那の存在に気付いている可能性は低い。が、部屋の中には人の気配がないのだ。もしかしたらもうこの場を離れているのかもしれない。足跡くらいいくらでも誤魔化しがきくだろう。それに、襲撃者がこの場に留まるメリットもない。万が一留まっているのだとしたら、刹那の来訪に気付いて待ち構えている、か。
落ち着け。刹那はそう一言自分に命じた。けれど、ふ、と頭によぎった言葉がある。もしもこの先に『ターゲット』がいて、それは既に襲撃者によって殺されているのならば、その場で自分が『襲撃者』に殺されたとしても、何の問題もないのではないか、と。
仇を見つけ、兄を見つけ、ロックオンを二度失った刹那にとって、何もかもを諦めて空っぽだった刹那にとって、この街で生きる理由は確かにないのだけれど、この街の外で生きる理由もまたどこにもないのだ。
落ち着け。今度は叱咤した。頭を大きく振り邪念を振り払う。まだターゲットが死んだと決まったわけではない。まだ気を抜いてはいけない。
刹那は意を決すると右手でナイフを構え、左手に投擲ナイフを3本差し、身を躍らせた。
部屋はホテルの一室のような内装だった。柔らかな赤い光が降り注ぐ部屋の半分ほどを正面の大きすぎるベッドが占めており、そのベッドの上には二つの人影が血を流して倒れていた。お楽しみ最中に諸共殺された。そう判断していいだろう。入口から少し離れた位置に二人はいたが、片方がターゲットの男である確立は8割、といったところか。そこまで考えるのに1秒足らず。刹那はまず左へと視線を向け、恐らくバスルームへ続くであろうすりガラスの扉の先にも人影がないことを確認し、更に今度は右へ、壁にくの字型に備え付けられたソファとガラス製のテーブルがある一角へと視線を投げ、息を詰めた。
「遅かったな」
ガラスのテーブルの上に置かれた、同じくガラスで出来た灰皿の上に、男は吸い殻を捨てた。その横には短機関銃と大口径の自動式拳銃が並べられている。彼が襲撃者であることは疑いようがないだろう。それに彼は――血塗れでありながらかすり傷一つ負っていない。
「何故……お前が、ここに……」
絞り出した声は掠れていた。それに気づいたらしい男は――ロックオンは、ん?と軽く首を傾げる。
「情報屋から情報買って殺したい奴殺しに来ただけだぜ?」
事もなげに、けろりと、ロックオンは言う。感じたのは途方もない違和感だ。頭の中で警鐘が鳴り響く。コレは危険だと理性も本能も告げている。
「何故、お前がこいつを……」
「自分の命狙ってる相手殺すのは当然だろう」
そんなことも分からないのかとでも言いたげに、軽く肩をすくめるロックオンに寒気がした。つい二日前に刹那は確かにロックオンに会った。けれどこれは違う。全く違う人間のように見える。
ロックオンは凍りつく刹那に気付いているのかいないのか警戒心もなくおもむろに立ちあがると、テーブルを回ってこちらへと近づいて来た。刹那は反射的に一歩下がり、ナイフを構える。けれどそれを見て、ロックオンは笑った。
「そう警戒すんなよ。別にとって喰おうってわけじゃ――あー、いや、あながち間違ってもねぇのか」
ふむ、と考える素振りを見せるロックオンは至って普段通りだ。ここが殺戮現場の下でなければ日常会話をしているようにさえ見えただろう。けれど彼は確かに50人近い人間を数分の内に殺しつくし、この場に立っているのだ。
あり得ない、と刹那は思う。人を殺すことに慣れても、感情がマヒすることは決してないと昔ロックオンは言った。多かれ少なかれ罪悪感を負うものだと。けれど、目の前の男にはその欠片も見当たらない。だから刹那はロックオンの台詞の続きを思い出した。もしもそれが無くなったらそいつは――ただの狂人だ、と。
一歩、ロックオンが近づいてくる。一歩、刹那は下がる。まるで逃げているかのようだと歯噛みした。けれど目の前の『普段通りの男』が酷く恐ろしくて仕方がなかった。出来ることなら今すぐ尻尾を巻いて逃げだしたくなるほど。それほどまでにこの男は異常だった。
一進一退の無言の攻防。負けるのは、刹那だ。こんと硬い感触を背に受け、刹那は自分に逃げ道がないことを悟る。
「捕まえた」
心底嬉しそうにロックオンは笑い、刹那の顔のすぐ横に手をついた。ナイフを使え。頭の中で誰かが叫んだ。今ならまだこの男も油断している。その隙を突いて傷を負わせ逃げろ。今なら、今ならまだ、間に合う。
ナイフの柄を握りしめる手が震える。力が入りすぎて思うように動かない、と、その手をロックオンの手に取られ、手首を強く握りしめられた。
「――っ」
そのまま握りつぶされるのではないかと思う程の強い力に、刹那はナイフをとり落とす。二人の足元に落ちたナイフは、ロックオンの靴先によって手の届かない所へ蹴り飛ばされてしまう。ぐっと奥歯を噛みしめる。逃げ道を自分の手で潰したようなものだ。刹那は確かにロックオンを殺さないと決めたけれど、ロックオンが命を狙ってくるならば別のはずだ。けれど、この男を傷つけてまで生きながらえる理由は本当に自分にあるのか。自問自答しても答えは、出ない。
「嗚呼、やっとだ」
掴んだ手首を壁に縫いつけて、ロックオンは長い息を吐く。
「何故……」
何故。何故。何故。そればかりだ。けれどそれしか思い浮かばない。疑問以外抱けない。
ロックオンは歪んだ刹那の顔を見ると苦笑して、昔よくしたように額に口づけた。あ、と一言でも漏らさなかったのは殆ど奇跡だった。懐かしい仕種に不覚にも熱いものが込み上げてきそうになる。
「馬鹿だよなぁ、お前」
「!」
「折角、逃げ道を沢山用意してやったのに。自分から戻って来るなんて」
何を言っているのか分からない。理解できない。男の目の中に映る自分の姿は酷く情けないものだった。
「賭けをしたんだ。賭けの相手は俺とお前。そして、賭けは俺の勝ちだ」
「何の話をしている…!」
「確かにお前には分からないだろうな。ま、簡単に言うと、お前が俺を殺すように仕向けたのはお前の予想通り俺だ。そしてそれに至る経緯――アレルヤから聞いてるだろ?情報の開示って奴だ――を作ったのも俺だし、お前がここに来るように仕向けたのもある意味俺だ」
「そんな、こと、」
信じられるわけがない。何もかもがこの男の策略だったと、そんな話が信じられるわけがない。情報の開示を行ったり、刹那に殺される事を望んだりしたのが確かにロックオンだったとしても、少なくとも、今日ここにターゲットを殺しに来たのは刹那自身の意思だ。この男はそれさえも読んでいたと言うのか。けれど、あり得ない話ではないのだ。刹那がロックオンのことを理解しているように、ロックオンもまた刹那のことを理解している。だから、信じられなくとも、あり得ないわけではない。
「記憶を消したのも賭けの内だ」
「なら……何故、そんなことをした…!」
問いかけてハッと気付いた。目の前にいるこの男は――記憶を取り戻している、と。
「ご明察」
こちらの考えを読んだらしい男はやはり嬉しそうに笑うと、グローブをはめた手で刹那の頬を撫でた。
「確かに俺は記憶を取り戻した。その辺りの話はまた後でしてやるよ。今は、さっきの質問に答えよう。何故、こんなことをしたか、について」
ロックオンの顔が刹那に近づく。焦点がぶれる程近くに碧の瞳がある。そして刹那は、まるで蛇に睨まれた蛙のように身動き一つとることが出来なかった。
「俺はお前を抱きたかった。手に入れたかった。総てその為の布石だ」
言われた言葉を理解できない。否、理解したくなかったのかもしれない。
そして刹那は、血の香りが充満するその部屋で、かつて兄と呼んだ男に、犯された。
――――――――――――――――
一度今まで書いたやつを修正しまくったよみたいなことを言ったことがあるかもしれませんが、総てはロックオンの暴走が故です。
ロックオンの賭けの内容や計画の全貌は次回(エロ頁でなく)にざっと書きます。
あ、ロックオンにこの場所の情報を売ったのはアレルヤなので、ロックオンが回収したナイフをアレルヤが持っていたりします。ちなみにアレルヤは一流の情報屋なので極力嘘は言わないけれど、本当の事を言わないことも多々あります。
Mydearestは後半『歪み・狂気』がメインになってくるのですが(書き進めてたら自然とそうなった)、一番歪んでいるのはアレルヤです。
PR