気付いたらここにいた。荒々しく扉を開けると、昨日と同じようにそこにはアントーニョの姿がある。コツコツと甲高い靴音を鳴らして、わざと存在を主張するようにアーサーはその男に近づき、緑色の瞳を見下ろす。その瞳には憎しみはおろか怒りの感情もない。ただただ水面のように静かだった。
膝を折りその瞳と同じ高さになると、アーサーは手を伸ばして指先でその瞳に触れた。
「……兄さん」
同じ色だ。兄と。それなのにアーサーを映す瞳は穏やかで、まるで受け入れられているかのような錯覚を感じる。
「アーサー」
不意に、アントーニョがアーサーの名を呼ぶ。いつものふざけた様子のない、少しだけ低い真剣な声。その声に、アーサーは弾かれたように手を離そうとして身を引いたが、突然その手を掴まえられる。
「放せ…!」
抵抗する暇もなく、自身より少し厚い胸板に頭を押し付けられる。
「可哀そうな、イングラテラ」
戸惑うアーサーの耳元に落ちる低音。動けなかった。まるでアントーニョの声に含まれた毒が聴覚から脳へと甘く痺れて、思考を侵しているかのように。動けない。
「俺が、お前を愛したる」
先程より力強い声で言うと、アントーニョはアーサーの体を強く抱きしめた。
「だからもう、泣かんとって?」
「………」
「アーサー、愛しとるよ」
ああ、本当にこの声は毒だ。頭を痺れさせるだけでなく、体の隅々まで行きわたりこの身を蝕み続ける。愛という毒によって、愛を知らないこの身はきっと殺されるのだろう。そう、思った。それはいったいどれほどの幸福だろうか。
気付けば、アーサーは縋りつくように強くアントーニョを抱きしめていた。たとえこれが嘘でも幻想でも構わないと思った。一時的な気の触れた夢であってもいいと思った。
そう、思っていたのだ。
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