大阪に住んでいる私でも、昨日の地震発生時には高層ビルにいたのでそこそこ揺れて、ほんのり恐怖も感じたのですが、この辺りは震度3だということで、その倍以上の揺れを計測した地域の皆様がどれほど恐ろしい想いをしたのだろうかと考えると、私までもが恐くなります。
地震発生から丸一日が過ぎて、津波はマシになってきたけれど原発が何やら不穏な様子の中、これ以上事態が悪化しないように祈るばかりです。
たとえば、このサイトに来てくださっていた方が、昨日を基点に来られなくなった、ということがあったなら、それは私には知るすべはないけれど、とても哀しく辛いことに感じます。
自分は綺麗な言葉が嫌いだったのですが、本心から似たような言葉を呟いているので、認識を改めなければいけないなと反省もしています。
どうか1人でも多くの人が助かりますように。
昨日地震があった時、私は大阪のとある高層ビルにいたのですが、そこそこ長い時間結構揺れました。
一応机の下に入ってくださいと言われ、「あ、本当に地震なんだ」と思い心臓がドキドキしながら机の下に。
体勢が悪くて二度ほど頭を打ったのですが、これがいつものドジなのか動揺しすぎていたのかは分からないです。
ただ、ぼんやりとハイチとかNZとかって単語が頭に流れて、犠牲になった学生さんたちのことを思い出したりして、私もあんなふうになるのだろうかと考えていました。
NZなんて凄く離れた場所のような気がしていたのに、そんなこと全然なくて、他人事じゃないんだなと思った。
そして家族のことが心配になって、死ぬなら一緒がよかったなと思った。
その時は震源地が何処か分からなくて、もしかしたらこの後強い震動が来てビルが潰れちゃうんじゃないかと考えていました。
私は結構いつ死んでもいい、なんてことを考えている人間だったのだけれど、死ぬかもしれないという状況下におかれるとやっぱり死にたくないって気持ちがあって。
床の方から聞こえてくるミシ、ミシ、という音に恐怖と焦りばかりを感じて。
ビ ルの管理会社か誰かからの放送が館内に流れて、非常階段を使って下に非難することになったのですが、我先にと逃げて行く人とか悲鳴を上げる女の子とか居 て、その中で身の回りの物を素早く片付けて、そこそこ早く部屋を出た自分は冷静だったのか必死だったのか、未だに分かりません。
非常階段はその部屋へ行く前に間違って使ったので位置も把握していました。今にして思えば不幸中の幸い、と言えるかもしれない。
パンプスにストッキングというなんとも滑りやすい格好で急いで下りて行くっていうのはなかなかに難しい作業でした。
しっかり手すりを握って、落ちないようにこけないようにと念じながら着実に少しだけ急いで階段を下りて行くうちに、揺れも収まっては来たのだけれど、下へ下へと行く内に、壁が少し剥がれていたり、壁の塗装にヒビが入ったりしていて、危機感が募りました。
オフィスビルだったので、OLさんとかサラリーマンさんとか、重役っぽい人とかも次々と非常階段に加わって来て、中でも面白いなと感じたのが、やはり年配の方の方が落ち着いているということ。
若手のサラリーマンの方が急いで階段を下りていく中、マイペースに下りて行く姿に多分ちょっと安心感を覚えた。
私がいたのは15階で(そのビルは20階以上あった)、15階分の階段を下りるのは大変で、いつまでも終わらない階段に焦りながら、やっと2階だと思ったら、1階が吹き抜けになっている所為で1階から2階の間は3階分くらいの階段があった。やっぱり焦った。
漸く外に出たらもう沢山の人がそこにはいて、携帯を片手に持っている人が多かったです。
私も慌てて家族の携帯に電話をかけたのだけれど繋がらなくて、何度かかけなおして自宅の電話にかけると漸く繋がって、「大丈夫!?」と聞いたら、「全然揺れなかったよ」と言われた。
うちは神戸の震災も経験しているので、ガレージの天井とかヒビ入ってるんですが、それが酷くなってるんじゃないか、とか凄く心配していたのに、祖母の声はあっけらかんとしていて、今テレビ見てるわーと呑気。
その後祖父に代わると「テレビ見てて気付かんかったわ。ほな、今から病院入って来るから」と。脱力した。
その後、30分くらい経ってからビルの安全確認が出来たということで、入場を許されたのだけれどエレベーターは止まっているらしくて、とてもじゃないけど階段では上れないから、そのまま家に帰ることにしました。
止まったエレベーターの中に人がいたのだろうか、とちらりと考えた。
電車は少し遅れていたけれど、途中1時間程迷子になりながらも無事帰宅。
部屋は全く異常がなくて(そもそも散らかってるから分からない)、高層ビルだからあれだけ揺れたんだと再確認。
その後殆どずっとテレビをつけていたのですが、何よりも津波の映像に戦慄しました。
何もかも呑みこんで壊して奪っていく姿に津波の恐ろしさを再確認した気分になって。
私は海というよりは山に近い地域なので、津波なんて全然気にしたことがなかったから余計に。
アナウンサーが「集落が壊滅しました」と繰り返すのを聞いて、どうしてそんな恐ろしいことを平然と言えるのだろうかと微かな憤りさえ覚えて(平然、ではなかったと分かっているけれど)。
昨夜寝る前に報道を確認すると、死者200人と出ていて、まだ被害が小さい方なのかな、大丈夫かなとか甘いことを考えていたから、今朝死者400人という報道から、死者行方不明計1300人以上(局によって情報は前後しているが)に変わっていくのが本当に恐かった。
首都圏でも停電していて、NHKにはメッセージがたくさん届いていて、電話回線が繋がらないところも多くて。
原発も寝る前から事態は好転していなくて、私は原発関連の仕事を志望していたりするので、少し考えさせられたりもして。
とにかく、温かい布団の中で眠れることに感謝したし、お腹いっぱいご飯を食べられることが幸せなのだと再確認した。
漸く警報が少しずつ緩和していることに安堵しつつも、死者が600人を超えたと聞いて…。
私には少しでも多くの人が助かってくれることを祈るしかできなくて、歯がゆいなとも思う。
東日本があれだけ大変なのに、西日本に住んでいる自分はいつもと変わりない生活をしていて、そのことがある意味気持ち悪くも感じる。
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