どっかで聞いた話。
各国の特徴を描いた話で、沈没する船から各国の客を救助のために海へ飛び込ませるためには何て言ったらいいかって話で、
ドイツ人は『これは規則です』
アメリカ人は『飛び込んだら貴方はヒーローになれますよ』
日本人は『みんな飛び込んでますよ』
この三国だけはなぜかよく覚えている。
日本のところで凄く納得して、同時に恥ずかしくもなった。
他人に流される人生なんて嫌だって、漫画とか小説とかで定番の台詞だけど、実際問題、この国に他人に流されず生きている人っていったいどれだけいるんだろう。
だからこそ、そういう台詞が使われることになるんだろうけど。
昔一度、小説の考えを口にしたら『プラス思考過ぎて気持ち悪い』て言われたことがある。
この時からかな。
私の中で、現実と物語の境界線がはっきりと引かれたのは。
物語は結局、夢と理想の集合体。
それが幸せなものであっても、グロテスクなものであっても。
以下、ギアスファンは注意。
R2のラストはすごく感動的で、私もボロボロ泣いた。
哀しかったけどいいラストではあったと思う。
だけど、某所で『ルルーシュのくれた明日を生きる』みたいな書き込みを見つけて、ん?て思った。
ルルーシュが明日を与えたのは、ギアスの世界だけの話であって、私たちの未来には何ら関係ないのにって。
そこまで感情移入できるって凄いことだと思う、皮肉じゃなくて。
だけど、その考え方は間違っている。
私たちが生きているのはこの、どうしようもない世界。
美しい反面、とても醜いちぐはぐの世界。
自分を犠牲にして世界を救おうなんて考える人、何億分の一の確立だよ?
リアルとフェイクを混同しないでほしい。
そこまでキャラを愛するのは本当に羨ましい。
私には出来ないから。これも皮肉じゃない。
キャラを愛したら、そのキャラの心が解る。心が解れば行動が解る。そうすれば、もっと上手く小説が書けるって思うから。
話がそれた。
ルルーシュが好きなのはいい。
でも、貴方の生きているのはこの世界。
貴方の明日はルルーシュに与えられたものじゃない。
明日を懸命に生きようとする起因になったなら、それは素敵なことだとは思うけど、その考えは長くは続かないと思う。
こんなことを、物語を作る側である私が言うのはちょっとあれだけど…。
どうあってもそれは、フェイクなんだよ。
萌えとか嫁とかって発言は大いに結構。私だって前者はよくある。
だけど、一線を引くことを忘れてはいけないと思う。
偉そうに言うけど、私も身を以て知った人間だから。
だからその危険性は、解っているつもりだよ。
ハマってしまうことの、危険性は。
そして私は今、ここに書くのと同時に自分に強く言い聞かせてる。
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