鉄錆の匂いがする。甘く芳しいバラの香りに混じって、無骨な無機物の香りが庭園を侵す。赤薔薇のように赤い水面に身を沈め、虚ろな瞳で見上げた先には、憎々しい男の姿がある。
「フランスに聞いたんやけど、薔薇って綺麗な花を咲かせる為に余計なツボ身を切ってしまうんやろ? 剪定、言うんやっけ? お前なんてひょろい奴、真っ先に切られてまいそうやのに、随分しぶといもんやな」
口の端に笑みを浮かべて、男は言う。動きの鈍い手を持ち上げて、男の首筋へと伸ばした。爪を立てて皮膚を抉ると、男は少し顔をしかめて痛みに耐える。この程度、と喉の奥で小さく笑えば、男から笑みは消え代わりに苦々しそうに歯噛みする。伸ばした手を引きはがして、指先に噛みつく。爪を剥がれるかと思ったがそんなこともなく、ただねっとりと舐め上げるにとどまった。
「物好きの変質者。早くお家へ帰れよ、ペド野郎」
「急かさんでも帰るよ。ココにおったら、ほんま頭がいかれてまいそうやし」
薔薇の香りが嫌いだと、この男は言った。薔薇の花は美しい。それは認める。薔薇の花は芳しい。それも認める。けれどこの国にある薔薇の全ては気に食わない。馬鹿馬鹿しいと肩をすくめたらこの有様。挑発したのはこちらで、それに乗ってしまったのが勝者。我ながら情けない。
「はよ帰りたいわ」
「なら早く帰れよ」
「せやけどお前、俺が帰ったら逃げるやろ?」
「当たり前だろ、馬鹿」
「それが問題やねん。できればココ以外で二度とお前の顔見たくないんやけど」
「じゃあ、顔を合わせないようにせいぜい気をつけるんだな」
淡々と流れた言葉。男はもとより自身もまた、この状況に退屈しているいい証拠。
「どういうからくりかは知らんけど、お前まだ生きてるしなぁ」
「はっ。それは残念だったなぁ、スペイン?」
正直生死の境目にも近い状況だがそんなこと気取られては堪らない。尤も、最低限の気配りさえ忘れなければ、鈍いこの男は気付くことはできないのだが。
案の定、男はむっっと顔をしかめ仕方なく身体を起こした。
「ここにおってや。頼むから」
「俺がテメェの命令なんか聞くと思うのかよ」
ふんと鼻を鳴らして吐き捨てると、あろうことか男は驚いたように目を丸くした。
「命令? ちゃうよ。これは忠告。お前の身を案じて言ってやってるんやで? イングラテラ」
それこそ性質が悪い。
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