休日の昼下がり。多くの生徒たちが外へ出かけていく中、襖を締め切った部屋に2人はいた。兵助と勘右衛門の部屋であるが、同室者は外出中で今日中には戻らないと言い置いていった。実家の方で用があるとか何とか。朝早くから急いでいた(寝坊したと騒いでもいた)友人に多くを問いただすことは出来ず、寝ぼけ眼でその背を見送った。
「…先日豆腐を買いに行った時、茶屋の前でおかしなカップルを見た」
ふと思い出して言葉にしてみると、お前はまた豆腐かと無言の視線を感じた。しかし兵助は気にせず続ける。
「どうも喧嘩の真っ最中であるらしいのだ。女は言った。私なんて捨ててあの女のところへ行けばいいのよ、と。男は言った。彼女のことは誤解なんだ。君が一番好きなんだ、と」
「浮気を発端とする痴話喧嘩か。そんなもの放っておけばいいのに」
傍らの男の言葉に首肯。2人ともどこにでもいるような素朴な人だったし(ただし、女性の方は少しばかりそこいらの女子より気が強そうだった)、兵助も同じことを思った。
「俺も新作豆腐が気になって仕方がなかったのでそうするつもりだった」
「……豆腐に新作も何もあるのか…あ、いやいや、豆腐談義は後で聞こう。とりあえず続きを話せ」
些か聞き逃せない発言ではあったが今の本題はそちらではないと自分に言い聞かせ、喉元まででかかった豆腐擁護論をごくりと呑み込む。
「突如女がこちらへやって来て、俺の腕を掴んで言った。もういいわ。私この方と付き合うから」
「おいおい、それは唐突だな」
「全くだ。俺も面食らって言葉を失った。そして男は憤慨した。当然だろう。俺もそれ以上巻き込まれるのはごめんだったから、そっと女の手を放し言った。用があるので失礼する、と」
「容赦ないな。さすが兵助だな」
何がさすがなのかは知らないが、男はからからと愉快そうに笑う。少し気分を悪くしたように装って目を細め睨むと、それで?と悪びれもなく続きを促してくる。
「女が用って何よ!?と物凄い剣幕で訊ねてくるので、俺は豆腐を買いに行くのだと正直に答えた。すると女は更に、豆腐と私どちらが大事なの!?とやや狂気気味に叫んだ。俺は当然豆腐だと答えた。そうしたら女の平手打ちが飛んできた」
「ちょっ、待て、待ってくれ、兵助君。お前は何かの劇に巻き込まれたのか?」
「俺が知るか」
むすっと顔をしかめる。すると男はだから頬が腫れているのかと人を馬鹿にしたような調子で笑う。先刻から笑ってばかりではないだろうか、この男は。
「女は再び男の下へと戻ると、男に訊いた。私と豆腐どっちが大事なの!?と。男は勿論君さ!と答え、女を抱き寄せた。もうあんなことは二度としないよ、赦してくれ。ええ、勿論よダーリン。俺が唖然としてそれを見守っていると、一部始終を見ていたらしい茶店の店主が団子を包んでよこした。ご苦労様、と肩を叩いて」
「おまえっ、本当災難だったな」
最早ぎゃはははと言う下品な笑い声を上げる男に、いい加減苛立ってきて、素早く彼の顔の接着面へと手を伸ばした。べりっと嫌な音がしたが、全て剥がれる前に大分焦った様子の男に阻止される。
「いやいや悪かった。だからと言って私の顔を剥がすことはないんじゃないか?」
「自業自得だ」
ふんと鼻を鳴らし手を引っ込め、再び体を横たえた。
「女と男というものは不思議な縁で結びついてるんだなと思ったよ」
「へぇ」
「それで思ったんだ。俺とお前のどちらかが女だった場合、俺たちはどうなっていたのか、とな」
「ほぉ? そう来たか」
三郎はふむ、と顎に手を当て天井を見上げる。胡坐をかいた先の親指がぴょこぴょこと動く。
「例えば俺が女だった場合、お前なんかには絶対に抱かれたくないし、逆の場合でもお前なんかを絶対に抱いたりしないだろうと思った」
「なかなか手厳しいなぁ。私はどちらでもいけるぞ?」
「よく考えてみろ。俺も雷蔵も女だったら、お前は間違いなく雷蔵を抱くだろう。俺を身代わりにする必要性がないんだ」
「…………」
先程まで少しおちゃらけた様子だった男の纏う気配が変わる。急激に熱を失った瞳に、兵助はかすかに息を呑んだ。
「なるほど確かにそれは道理だ」
熱のない瞳に兵助の姿が捕らえられる。まるで蛇に睨まれた蛙のような気分だった。三郎の手が褥の上に散る兵助の髪に触れる。
「けれど残念なことにあいつもお前も男だ。そしてお前は私に抱かれてしまった。もう幾度となく」
髪を撫でていた指が、その中から一房持ち上げ、三郎の口元へと運ぶ。
「男女に不可思議な縁があるのなら、男同士である私たちの間にも同様のものがあると思うか?」
「ないだろう」
男の手から髪を奪い取って、上体を起こす。
「お前と俺の間に切れぬ縁があってたまるか」
「ならば切れる度に繋ぎなおそう」
「するな。そんなもの雷蔵との縁でやっておけ」
「馬鹿だなぁ、兵助」
三郎は兵助の顎を掴むと、吐息がかかるほど近くにまで顔を寄せ、不破雷蔵の顔でにやりと笑った。
「私と雷蔵の縁が切れるわけないだろう?」
ああこいつは本気で言っているのだと確信した。不破雷蔵あるところに鉢屋三郎あり、と何度と聞いた覚えがある。ならば尚のこと、さっさと在るべき場所に戻ればいいものを。今まさに切れやすい縁を切り裂いてやろうと思ったというのに。
唇が重なる。熱がじわじわと滲んでくる。もう何度も感じた熱だ。慣れてしまうほどに。
朝方、部屋を出て行く勘右衛門はあ、そうだと言って振り返った。お前のいい人を連れ込んでもいいけれど、俺が帰るまでには帰しておいてくれよ、気まずいから。それだけ言い残して今度は本当に出て行った。
違うよ、勘右衛門。と寝ぼけた頭の中で反論した。お前が思っているようないいものではない。むしろ早く縁を切りたくて仕方がないんだ。これ以上のめり込んでしまう前に。
そうは思っているのにまた、ぬるま湯に浸る。
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大事なものが(まだ)ない久々知さんと、雷蔵が一番大事な三郎さん。
最近マイブームなのかと思うくらい、セフレ系の話ばかり書いてる。
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