目を覚ました時、旅人は小屋の中にいた。質素な作りのログハウス内には、埃をかぶった最低限の家具が並んでいた。旅人が目を覚ましたのは硬いベッドの上で、目を開けるとこちらを覗き込んでいる少年の姿があった。
「!!」
旅人は驚き、勢いよく飛び起き懐へと手をしのばせたが、そこにあるはずのものは見つからず、更に焦りを募らせる。
「……目が覚めたようだな」
落ち着きはらった少年は、赤い目でじっと旅人を見上げた。旅人の背を嫌な汗が伝い落ちる。そんな旅人の様子に何を思ったのか、少年は体をひねり背後の机を指差した。
「お前の銃ならそこにある」
視線を向ければ確かに、まるい机の上に旅人が肌身離さず持っていた拳銃があった。
「少し弄らせてもらった。だからもう、あの銃では俺を殺せる」
殺せる。その言葉に旅人は意識を失う直前の出来事を思い出した。国境砦への道を塞ぐようにあった広大な森。そしてその森にあった大きな水晶と、頭に響いた謎の声。殺せ、と命じられた少年のこと。そこで、ハッと旅人は気付いた。今自身の目の前にいる少年は、紛れもなくあの水晶の中にいた少年ではないか、と。
少年はベッドの上に立ったまま動かない旅人を怪訝そうに見つめた後、机の方へと足を向けると銃を片手に再び旅人に向き直った。そして何を考えているのか、銃身を握り旅人へと銃を差し出す。
「………何のつもりだ」
「転移のショックで記憶が混濁しているのか?」
少年は首を傾げる。
「だが、そうだとしても問題はない。お前は俺に向けてこの銃の引き金を引けばいい」
さらりと表情を変えることなく、冷たい無表情のまま少年は自身を殺せと言った。眩暈がしそうになる。少年はその見た目よりもはるかに大人だった。今まで旅人が見たどの子供よりも大人びて、そして、異質だった。どこの世界に、この銃で自分を殺せと頼んでくる子供がいる。
「断ると、言ったら」
当然の答えだ。旅人は誰かを殺すために旅をしているのではない。あの森に踏み入ったのだって、国境を目指していただけであって、この少年を殺すためでは毛頭ない。誰が好き好んで人を、子供を殺したいと思うだろう。
「お前は森から出られない。ただ、それだけの話だ」
少年は少し呆れたようにそう言うと、ベッドの上へ銃を置き、自身は机の傍にあった椅子へと腰掛けた。
「今まで多くの人間が俺を殺した。最初は皆お前のように拒否する者が多かったが、最終的には皆が皆俺を殺した」
「お前は……何を言ってるんだ」
彼の言葉が正しければ、少年は何度も人に殺されていることになる。あり得ない話だ。現に少年は今、旅人の目の前にいるのだから。
「俺はヒトじゃない」
まるで旅人の心中を読んだかのように、少年は言う。奇しくも、頭の片隅に浮かんだ予想が当たった旅人は、苦虫をかみつぶしたような渋面を作り、ひとまずベッドの上に置かれた銃を拾い上げ、床へと足をついた。
「人はヒトでないものは顔色一つ変えずに殺せる。ヒトであったとしても、それが自身の利益へ通じるなら、躊躇わない」
「ふざけんな。俺をそんな連中と一緒にするな」
「違うのか?」
少しだけ不思議そうな音を含んだ少年の声に、旅人はびくりと肩を震わせ目を見開いて少年を見た。少年は旅人を見てはいなかった。椅子に座ったままどこか遠くを見つめている少年は、生きている感じがしなかった。その感覚に旅人は、背筋がすぅと冷たくなったような錯覚を覚えた。
「俺から、いや、俺たちからしてみればヒトは皆同じだ。今までの奴らも、それ以前の連中も、お前も、何ら変わりない。自分のためにヒトを殺すのが人間だ」
「……………違う。俺は、殺さない」
これ以上は、もう。
旅人は最後の言葉を呑みこんで、ベッドの片隅に置かれていた自身の荷物を担ぎあげた。これ以上、茶番に付き合ってはいられない。この少年と話していたら、自分までもがおかしくなってしまいそうだ。
「お前は森に足を踏み入れた。一度森に入った者は容易には解放されない。俺を殺すまで、森から抜け出すことはできない」
その言葉はまるで呪詛のようだった。少年は相変わらず無表情で、どこを見ているか分からないような状態でぼうっとしているというのに。
旅人は小屋を出た。少年は何も言わなかった。
小屋の外には平原が広がっていた。森に入る前の荒野よりは草木が生い茂る光景に、旅人は少しほっとした。ぐるりと辺りを見渡してみるも、あの広大な森の姿はどこにもなかった。まるで夢幻だったかのように。
旅人はひとつ深呼吸すると、眼前に見える影に向かって歩き出した。あの形は、街で聞いた南砦のシルエットだ。あの砦の先は他国。漸く目的地が近付いて来た。
森で起こった不思議な出来事も、あの少年のことも、旅人は記憶の奥深くに封じ込めることに決めた。旅にアクシデントはつきものである。その内のひとつとして片付けるのがいい。あんな、おかしなこと。
そうやって旅人は足早に、小屋から少しでも早く遠ざかろうとするかのように、南砦へと向かった。
『一度森に入った者は容易には解放されない』
何故か少年の言葉が耳にこびりついて離れなかった。
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