暗い部屋だった。恐らく部屋自体が黒に染められているその場所の、真ん中にぽつんと立つ場違いな燭台の上には僅かに残った蝋燭がドロドロに融けてそれでもなお、赤々とした灯を灯していた。
真っ黒な床の上には燭台を中心に幾何学的な紋様が刻みこまれていた。これが魔法陣であるらしいことは、友人から聞いてことがあったがまさかそれを自分の目で確かめることになるとは夢にも思わなかった。
「もう一度だけ、問う」
部屋の奥。闇に溶け込むように立っていた男の声が聞こえる。黒いローブに身を包んだ古風な出で立ちの男は、分厚い本を片手に目を眇める。
「本当にいいのか」
もう何度目の確認かも分からない。同じ言葉を繰り返し繰り返し訊いていた。不安なのだ、彼は。信じて裏切られることも、この身が術に負けて朽ち果てることも。だから問う。繰り返し、繰り返し。言葉の裏にひっそりと、切望と期待を込めて。
最初はしつこいなと思っていたけれど、彼のその確の裏に潜んだ言葉を知ってからは、呆れとも何ともつかない微妙な感情を抱え、初めての時と同じように少しだけ笑って、頷いた。
「勿論」
答えを聞くといつも彼は今にも泣き出しそうに顔を歪めて、息を飲む。それから大きく深呼吸して、そしてひとつ頷いた。
「……ありがとう」
けれどその言葉は初めて聞いた言葉で、今度はこちらが泣きたくなる。どれだけの想いを抱えていたのだろう。どれだけの孤独をその細い身体に刻みつけてきたのだろう。今すぐにでも駆け寄って、抱きしめたい衝動に駆られたけれど、部屋の中央に坐する炎が今一度大きく揺れ、はっと我に返る。
「始めるぞ」
そうして魔術師は分厚い本を開き、静かにどこか祈るように詠唱を始めた。
それはただの偶然だった。この孤独な魔術師に出会ったのも。魔術師の痛みを知ってしまったのも。偶然の裏返しが必然だというのなら、この出会いに何の理由があったのだろう。そんなことも考えた。
ヒトとは別の理の中を生きるこの魔術師を、独りにしたくないと思ったのは、何故だろう。ただ、どうしても捨て置けなくて。その想いはヒトである自分を殺したとて余りあるものだった。
同じものになりたいと願った時、彼は糾弾した。馬鹿を言うなと。同情なんかいらないのだと。ふざけるなと。罵詈雑言の限りを尽くされ、正直心が折れそうになった。けれど。
『どうして…そんな……そんなこと言うんだよ……ばかぁ………』
プライドの高いからが体面も気にせず泣きじゃくる姿を見た時、胸が締め付けられる思いがした。そして同時に確信した。自身の選択は間違いではなかったのだと。何百という長い時間の中を生きる彼が、あまりにもちっぽけなこどものように思えた。
長い詠唱が続く。魔法陣は彼の声に呼応するように青白い光を放ち、燭台の上の火は元の数倍にも膨れ上がっていた。
「
今此処に我が眷族と成るべき者への祝福を。ヒトの理を満たし悠久の時空の楔を彼の御霊に刻み込まん」
詠唱が終わると共に、胸にずんと重い衝撃が走った。息が詰まり苦しさに膝を折る。喘ぐような呼吸を繰り返し、涙に滲んだ瞳で見上げると、もう飽きる程見た魔術師の泣きだしそうに歪んだ顔が見えた。泣く必要なんて、もう、ないのに。
ぷつり。意識が途絶える。
「成功したの?」
侵入者の声に、疲労困憊の体に鞭打って立ち上がる。部屋にある唯一の扉の近くに、見知った男の姿があった。自身と似た理の中で生きる男だ。
「……ああ」
頷き、確かめるように部屋の中央に横たわる男へと歩み寄る。魂の理を書きかえられたショックに気を失っているようだが、まだ生きてはいる。彼と自分の中に生まれた縁がそれを教えてくれる。
男の傍らに膝をつき、胸元を肌蹴る。首の少し下の部分にくっきりと浮かび上がった十字の痣を白い指先でそうとなぞった。これが、契約の証し。彼がヒトでなくなった証拠。
「これで……俺のものだ」
自分より少し大きな体を抱き起し腕に閉じ込める。ずっとずっと欲しかった。ただひとつのもの。
「長年待ち望んで、偶然を装ってまでして手に入れた男の感触は如何?」
「お前なんかよりずっといい」
遠い昔に契約を結んだ男に冷めた一瞥を向け、抱き上げた男の唇に口付ける。
ああ、やっと、手に入れた。
「あーぁ。本当悪趣味だね。妖精王様?」
あとがき
アーサー:魔術師を名乗る妖精の王。未来が見える。不老不死。
トーニョ:ヒト→妖精王の眷族。不老不死。
フラン:かつて妖精王に見初められ眷族となったも、自ら離縁した。魔術師。不老。
妖精と契約したヒトが不老の魔術師になる。
妖精王の眷族は不老不死になるが、妖精王と縁を切るとただの魔術師に落ちる。
トーニョはアーサーが妖精王だってことは知らない。
なんかそんな感じの電波な設定でした。多分。
アーサーは身分を偽る以外の嘘は言ってないんですよ。一応は。
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