とある都市の郊外に立つ立派な洋館。十数年前までは侯爵家の住まいであったその館には、今や住人は3人しかおらず、また人が寄りつくことも殆どなかった。
そんな洋館の扉がノックされた。久々の来客に燕尾服を纏った青年が大きな木製の扉を開く。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「ああ。邪魔をする」
中性的な顔立ちの客人は、どこかおかしそうに含み笑いをするので、思わず刹那は眉をひそめた。これを師に見られたら軽く小突かれていたものだが、幸いにも今ここには刹那と彼の二人しかいないのだ。
「大分その姿もいたについてきたじゃないか、刹那」
「言われるほどでもない。まだまだ見かけだけだ」
からかっている、わけではないのだ。一応。この客人は冗談を言わない。けれど刹那は憮然とした面持ちで首を振る。
「謙虚なものだな」
客人――ティエリア・アーデ子爵はフっと小さく笑った。客人を応接室へと通す。あいにくと館の主人は留守なのだが、その内帰るであろう旨を告げると、ならば待とうとティエリアは言い、刹那が彼の相手をすることとなった。
ティエリアは言わばロックオンのパトロンとも呼べる存在ではあったが、その関係は比較的良好で、何でもロックオンことニールが貴族の位を返上する前までは普通に交流があったのだという。
老執事の運んできた紅茶を嗜んでいると、思い出したとティエリアが持ってきた包みを取り出した。
「…それは?」
「頼まれていたものだ」
自分は何か彼に頼みごとをしただろうかと首を傾げる。するとティエリアは笑って、開けてみろと包みを差し出した。言われるがまま受け取って封を切る。すると、そこには愛らしい姿の華があった。
「……ああ、これがヒナゲシか」
「そうだ。見たいと言っていただろう?」
以前、どういう話の流れでそうなったのかは忘れたが、ティエリアと二人植物図鑑を見ていた。その時、ヒナゲシという花に興味を持って、ならば次に来た時に持ってこようとティエリアは言ったのだ。そんな経緯を思い出して、確かあれは半年ほど前だったと気付いた刹那は、ティエリアの記憶力と誠実さに少し感心した。
「あぁ……ありがとう、ティエリア」
「礼を言われるほどのことじゃない。それに僕としても君には世話になっているからな」
「世話? ティエリアが俺の?」
全く身に覚えがなくて首を傾げる。対するティエリアはティーカップに口をつけ、香りを楽しむように目を細めた。
「ああ。君がいてくれるお陰で、ロックオンの調子もいいようだ。昔は少しムラがあったからな」
「? 別にそれと俺とは関係ないんじゃないか?」
「そうでもないさ。君は自分が思っている以上に彼の支えになっている」
「………」
果たしてそうだろうかと甚だ疑問ではあったが、ティエリアは深く納得している様子でそれ以上疑問を口にする事も出来なかった。するとティエリアがこの茶葉は?と訊ねてきたので、話題は紅茶へと移ってしまったのだった。
2時間ほど談笑していた所に、ようやく館の主が帰還した。
「よう、ティエリア」
「お久しぶりです、ロックオン」
ロックオンが刹那の横に座ると、すかさず老執事がティーセットを用意する。少しぬるめに淹れられたそれを飲み干した後、ロックオンはティエリアへと向き直る。
「お前が自ら出向いてくるなんて珍しいな」
言われてみればそうだ、と刹那も気づいた。ティエリアはロックオンのパトロンだから、連絡は密に取っている。しかしその手段としては主に手紙が用いられ、ティエリア自身がこの館を訪れることは、それこそ年に1度か2度あるかどうか、といったところだ。
「刹那に渡すものもあった。それと、貴方に聞きたいことが」
「俺に聞きたいこと?」
心当たりがさっぱりないらしいロックオンに、お前何か訊いてる?と視線を投げられる。刹那は軽く首を振って答えると、ティエリアが話を続けた。
「先日雇っていたボディーガードが裏切った。他貴族の差し金だ。始末は貴方に頼むまでもなかったが、代わりを探すのに難航している」
「あー、確かにそんなことがあったんじゃ、その辺の奴なんて雇えないし、慎重になるな」
さらりと不穏な話を聞いた気がするが、ロックオンとティエリアが双方揃って平然としている辺り、どうやらそう珍しい話ではないらしい。ただ今回は裏切った相手がボディーガードだったから問題だったようで。
「ええ。僕を裏切らないという観点からいけば、貴方も適任ではあるけれど…」
「買い被りなさんな。それに、俺はボディーガードは性に合わねぇよ」
「そう言うと思った。勿論、刹那に声をかけようなら契約自体打ち切られそうだからな」
「よく分かってんじゃねぇか。さすが、アーデの若手当主だ」
「おだてても報酬は上がらない」
「……チッ」
どこか火花めいたものが飛び交う会話を聞き流しながら、先程ティエリアが褒めていた紅茶をすする。この二人は仲は悪くないし、ティエリアに至っては何となくロックオンを尊敬しているような素振りも見られるのだが、事仕事の話となると途端に空気が一変する。
ロックオン曰く、危険な仕事を振って来るわりには報酬が少ないらしく、これに対してティエリアは銃器に金をかけ過ぎだ、という。何でもロックオンは先代の財産があるから、特に働かなくても一生食いっぱぐれるようなことはないらしい、とやんわりと老執事が言っていた。
「まぁ、僕自身、元とはいえ侯爵家の人間を連れ歩きたくはない」
「まぁその気持ちは分かるな。で、俺に心当たりはないかって?」
「はい」
「そうだなぁ……」
報酬アップ交渉は早々に諦めたらしいロックオンはソファに体重を移し、腕組みをして考え始める。
「職業柄、情報屋とか暗殺者の知り合いはいるけど……んー筋がいいっていったら……あ、この近所の広場に店出してる双子がいるんだが」
「店?」
広場の店の双子。そのキーワードにあっと、思い出した刹那に、知ってるのか?とティエリアが首を傾げる。
「世界中の酒を取り扱っていて、ジュースも売ってる」
ジュースと間違えて酒を渡されたのは、今ではちょっとした苦い思い出でもある。相手に悪気がなかったのは分かるのだけれど。あれからも幾度と交流を続けていたので、気性の荒い弟の方はともかく、兄の方とはそれなりに仲良くやっていたりする。それにロックオンがつまらない嫉妬心を燃えあがらせたりしたのだが、それはまぁおいておいて。
「……その双子とやらは信用に足るのか?」
「刹那の友達で俺も何回か会ったことがあるけど、兄貴の方がおおらかだがしっかりしてて、暴走気味の弟を上手く制御してるって感じだな」
言い得て妙な表現にうんうんと頷くと、ティエリアは少し困惑したようだったが、興味は抱いたようで、話の続きを促した。
「ガキの時に何年間か軍に所属していたらしい。まぁ向いてなくて辞めようかと悩んでた時に、上司が上手く手を打ったらしくて、今の職に就いてるって言ってたな。軍を辞めたのが19の時だったらしいぜ。今は二十の半ばくらいだったか」
「随分若いな。しかし、貴方が推すほどの人物だ。一度会ってみてもいいかもしれない」
「平日の昼頃に店を出している。黒髪の双子は結構目立つからすぐに分かると思う」
「分かった。ありがとう」
ティエリアはひとつ頷くと、音も無くすくっと立ち上がった。彼も子爵だけあって多忙の身なのだろう。
「では僕はこれで失礼する。仕事はまたいつもの方法で連絡をいれる」
「了解」
ひらひらと手を振るロックオンを横目に、ティエリアは扉へと向かい、ふと足を止めてこちらを振り返った。
「それと、子育てが終わったならいいかげん本腰を入れてくれ」
2人が何かを言い返す暇も無く、ティエリアは部屋を出て行き、扉の閉まるぱたんという音が静かな部屋に響いた。が、取り残された2人はどちらも多少なりとも困惑していた。
「……子育て…」
落ちた沈黙を破ったのは、ロックオンの震えた声だった。どう考えてもこれは笑っている。
「おい、もしかしてそれは俺のことを指しているのか」
「…くくっ……」
確認するまでもなくそうらしく、恥ずかしいやら腹立たしいやら何やらで、とりあえず刹那は勢いに任せてロックオンの足を踏みつけた。
「痛っ……………ふっ…ははっ……おっかし……」
「っ、ロックオン」
「悪い悪い」
むっと顔をしかめてもロックオンに反省の色はなく、やがて諦めた。
「まさかそんな風に見られてたとはなぁ。あいつもお前とそう歳もかわんねぇのに」
「ティエリアは何歳なんだ?」
「お前の2つ3つ上だな」
自分とそう変わらない歳で子爵家の当主を務めるティエリアに驚いたのだが、ティエリアならそれくらい出来そうだと妙に納得した。それに比べて自分はまだまだ執事見習い、という辺り少しもどかしくも思うが。
考え込む刹那の横で漸く笑いの収まったロックオンがふと、机の上に置かれている花へと視線を向けた。
「気になってたんだけど、この花は?」
「ヒナゲシだ」
「へぇ。あいつの土産か?」
「ああ。以前俺が見たいといっていたのを覚えていたらしい」
「何でヒナゲシなんだ?」
刹那が所望するには可愛らしい、と余計な一言を付け加える男を無視して、例の植物図鑑に記されていた事柄を思い起こす。
「この花は東方の国では虞美人草と呼ばれている。その名の由来である伝説が興味深かった」
「伝説?」
「昔東方の国のある兵が戦争で死に、その妻であった虞は自刃した。そして彼女の墓に咲いたこの花を虞美人草と名付けたらしい」
「こいつがなぁ…」
ロックオンの指がヒナゲシの頼りない花弁に触れる。
「死の近くに咲く花は赤いんだな」
「けど、その割りには随分可愛らしいな」
人の死の上に咲いた花にしては刺々しさもなく、ロックオンの言葉通り確かに可愛らしい姿をしている。あの図鑑には花ことばも載っていて、この花の花ことばは慰め、いたわり、思いやり、なんてものがある。そう思えば、想像通りの姿ではあるのかもしれない。
同じく人の死を連想させる花にリコリスというものがあるらしい。それはこの花よりもっと死に近い花だという。今度はそちらを頼んでみようかと思っていると、ロックオンが刹那、と声をかけてくる。顔を上げるとこれ、と花を指さす。
「どこに置くんだ? 鉢だから、中には置けないし…」
「あの人に聞いてみる」
「そういや最近庭作りに凝ってるみたいだったしなぁ。お前も花に興味があるなら手伝ってみろよ」
確かに。以前は庭師を呼んで庭園の手入れをしていたのだが、ここ数年は老執事が殆ど1人で切り盛りしていた。大変じゃないのかと訊ねたら老人の嗜みです、と言っていた。のだが、果たしてそれに自分が加わる、というのはどうなのだろう。あくまで居候の身である。
「いいのか? 俺がやっても」
「今更何言ってんだ、お前は。お前はこの館の住人なんだぜ? この館と庭は好きに使えばいい」
ぐしゃぐしゃと頭をかきまぜられて、普段ならもう歳も歳だからと嫌がるのだがどうしても今日ばかりは払いのけられなくて、悔しさの混じる想いを抱えて俯き、僅か頷く。
「………ああ」
「それに、あの人も孫ができたみたいで楽しいだろうさ」
孫、と心の中で反芻する。やはりどこかまだ子ども扱いされているのは気のせいだろうか。収まっていた不快感がまたむくむくとわき上がって来て、何とも言えない心地になるのだ。
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何のこっちゃ、と書いた本人が思いました。ええ。オチが迷子になりましたよ。
ヒナゲシのストーリーが妙に気にいって使いたかっただけですごめんなさい。
ティエリアと刹那は刹那がこの洋館に来た1年後くらいに初体面し、その後一度思いっきり殴り合った後仲良くなりました。その時の光景は当人達と老執事しか知らないのですが、それはそれは壮絶であったそうです。
ティエリアの案は3つあって、1つは以前途中で放棄したJTR編に関係する予定で、2つ目は幽霊案で、3つ目が今です。幽霊は館の呪縛霊で刹那とロックオンを取り合うというストーリーでしたが、今の案が一番しっくりくる感じがします。
次の話でもティエリアは出る予定なんですが、やっぱりハレアレは名前だけ登場だったりします。というか名前さえ出てなかったか。ファンの方ごめんなさい。扱いがぞんざいな上に彼らがメインのストーリー投げ出したりしましたが、私は2人とも好きです。ほんとに。
投げ出した理由ですか?(別に訊かれてない)
洋館シリーズのコンセプトというかイメージというか雰囲気は基本ほのぼのなんです。そもそもが、美坂がロックオンの死に堪え切れなくて生み出したパラレルですので。
しかし美坂はシリアス大好きなシリアスしか書けない人間なので(ご存じの通り)、シリアスなストーリー書くぜ!とジャック編書いてたんです。プロットも全部書き上げて、ある意味洋館シリーズの完結話になりそうでした。でも、シリーズものを無理やり完結させる必要も、無理にシリアスつける理由もないなぁと思って全部破棄しました。
まぁ一番の理由を上げるのなら、結末が気にいらなかったから。ほのぼのが醍醐味みたいなこのシリーズで切ないというか後味のあまりよくないラストというのが嫌でした。でもプロット書いたからには自分の中でその話の結末はそれ一つしかなかった。だから待ってくださった方には申し訳ないですが、シリーズ自体廃案としたのです。
プロットは探せば見つかるけど手元にはなくて、でも流れは全部覚えていたりするのですが、それでもやっぱり書きたくないもんは書きたくないなーという感じです。基本わがままです。
なのでこれからも洋館シリーズは馬鹿みたいにほのぼのっと続けていきたいと思います。とりあえず最近は未来編、ですねー。21歳刹那は何だか16歳よりもどかしい感じがしました。何でだ。
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