今にして思えば、それはまるで遺言のようだった。
単身地球へ降りる決意をした刹那はエクシアのコックピットへと辿り着いた。
「セツナ、セツナ」
半重力の中をふわふわ跳ねてきたのはオレンジ色の球体。ソレスタルビーイングの狙撃手が相棒と呼ぶロボット、ハロだった。ハロは何故か刹那の足元でコロコロと回る。
「ハロ?」
訝しげに声をかけると(本来ならロボットに声をかけるなんて馬鹿らしい行為ではあるが)、ハロはピタリと動きを止め、かと思うとぴょんと大きく前方に跳ねた。慌てて飛び退きハロの飛んでいった方向、刹那からすれば後方を振り返ると、癖のある茶髪が見えた。
「ロックオン! ロックオン!」
「先に行くなって言っただろ、ハロ」
相棒に怒られたハロは落ち込んだように動きを止め、耳のような部位をパタパタと開閉させた。
「まぁ間に合ったからいいけどさ」
がしがしと頭をかき、ロックオンは不意に刹那へと向き直った。
「どうしようかぎりぎりまで迷ったんだが、渡しておこうと思ってな」
「何の話だ?」
「いいから、手出せ」
果たしてロックオンは何がしたいのだろうかと、首を傾げるも、ほら早くと急かされて右手を差し出す。するとロックオンもまた手を伸ばし、刹那の掌へと何かを落とした。
「これは?」
それは金の細いチェーンにかかったシンプルな銀色のクロスだった。
「銀で出来た十字架だよ」
銀、といえば錆びやすいものと聞くが、そのクロスには錆びひとつ見当たらない。しかしだからといって新しいものではないようで、丁寧に手入れをされていたのだろうことが分かる。
「その十字架は妹の形見なんだ」
妹、という言葉に刹那はびくりと肩を震わせて危うくクロスを落とすところだった。
「あ、勘違いするなよ。それで間接的にお前を責めるなんて悪質なことは考えてないから」
ホッとしたようなそれでいて考えを見透かされて気恥ずかしいような気まずいような、実に複雑な気分だった。
「大事なものなんだ。だから、お前に持って行ってほしい」
「だが、そんな大事なものを……」
「ああ。だから、必ず返してくれ」
ロックオンが言わんとしていることがよく分からなくて、続きを促すようにじっと碧の目を見上げる。
「それはお前の無事を願うお守りだ。だから、必ず帰ってきて返してくれ。いいな?」
どこか悪戯っぽく笑うロックオンに、刹那は頷いた。
「必ず返す」
「よし。なら、行ってこい」
ぐしゃぐしゃと頭をかき回す手はなかなかに鬱陶しいものだったけれど、あたたかかった。
+++
あれから4年が経った。ラウンジでぼんやりと、かつて手渡されたクロスを眺めていると、ふと茶髪の青年が姿を現した。彼は入ってくるや否や刹那の手の中にあるクロスに目を止め首を傾げる。
「お前それ……あ、いや、そんなわけないよな」
困惑したように頭をかくロックオンに、刹那はひとつ頷く。
「ニールから預かっているものだ」
彼の顔が一瞬ぐしゃりと歪んだ。そしてやっぱりか、と息を吐く。
「…少し見せてもらってもいいか」
「ああ」
刹那は近寄ってきた彼にクロスを渡す。恐らく兄である彼は、妹の相変わらず錆びひとつないクロスを見て目を細めた。
「…裏に、あの人の名前が彫ってある」
「………」
「これは妹と両親が誕生日に俺たちにくれたものなんだ。俺のはもう壊れちまったが」
返すよ、と言われてクロスを受け取る。このクロスの裏に掘られた文字に気づいたのは、もう二度とこれを元の持ち主に返すことが叶わなくなった頃だ。
「まだ、返せないでいる」
彼には宇宙に散った彼には、墓がなかったから。返す場所がなかった。けれど恐らくもし彼の墓があったとしても、返すことは出来なかっただろう。
「兄さんなら、捨てろって言ったかもな」
「ああ」
きっと刹那が背負うことを、彼は望まなかっただろう。分かっていた。それくらい。
「分かっているのに持っているのか?」
「…いつか、返す日が来る。だからそれまでは預かっておく」
彼の志と共に。
「…ありがとな」
何のための謝辞だろう。疑問には思ったが訊かなかった。ロックオンもまた言わなかった。
再び一人になったラウンジで、刹那はそっと冷たい十字架へと口付けた。
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